小説は自由

小説は、自分をいろんな所へと連れていってくれます。

電車の中や、ベットの上。はたまた歩きながらだって、危険だけど笑。
人間は文字だけで、情景や状況や言葉を思い浮かべることのできる、頭のいい動物です。
簡単な言葉で表現してもわかりますが、それを複雑でありながらも綺麗に表現された言葉ならば、人を魅了でき、それが仕事になったりします。

僕も一応少しくらい文章を書くので、小説から学ぶものは多いです。
1つ出来事を書き表すにしても、小説では、考えぬいて選びぬかれた言葉たちを巧みに操り、僕もよく感心しながら勉強しています。
小説からドラマになることは良くありますが、これには全く賛成できません。
小説の作品というものは、その小説の作者の技法と、受け取る側の読解力によってやっと一つのもに成り立つのだと思うのです。
小説を読んだ時点で、そこにある情景、登場人物、空気感は、自分の頭の中で構築されており、それをあとから今流行りの俳優などが表現しても、どうしても違和感を感じたり、矛盾しているような印象を受けたりしてしまいます。

逆に、ドラマをみて興味を持って小説を読んでも、もうそれは、頭の中で人物像や情景ができあがってしまっており、せっかくの読み解く自由が制限されてしまうような気がしてならないのです。
なので僕は、ドラマから小説に興味を持つことは全くないです。

小説は自由であるはず。それを究極までに追求していくためには、案外を「周りを見ないこと」が大事だったりするかもしれません。もちろん視野や知識を広げていくことは、人として大事ですが、広げれば広げるほど自由を奪っていくことになるケースもあります。

小説のみならず、様々なことを純粋に楽しむことって、簡単なようで難しいなと思うの今日この頃でした。